2004 07 24
11・1973年・初めてのLONDON
―――70年代初頭の目くるめくLONDON体験―――
そして、おしゃれ好きが高じて、ファッションの仕事に足を突っ込むようになっていきました。はい、学校を出て、グラフィックデザイン事務所にバイトへ行くも2ヶ月で挫折というへタれ加減。じゃ小遣いくらいは稼がなくてはと、手先の器用さを生かしてコツコツ手作りニットでバッグや小物をつくっては、お気に入りのブティックで売ってもらっていたのが目に留まり、何と当時憧れのデザイナー菊池武夫のBIGIから声がかかり、そこの仕事をするという何たるシアワセ。
70年代初頭は、音楽だけでなく、ファッションや社会現象、ありとあらゆる部分で毎日新しいものが噴出してきていて、自分の興味や好奇心としても「全開っ!!」なのに、それを享受できる環境に行ったのだからたまりません。 あまりの幸運にガムバっちゃったので、そんなこんなで新たに発足するニットのブランド“メルローズ”を任せられることになり、チーフデザイナーになってすぐの’73年、ヨーロッパ(ロンドンとパリ)に行かせてもらえたのが初めての海外旅行でした。 当時まだ海外旅行は一般的ではなく、羽田(成田はまだ無い!)へ、会社のスタッフや友人、母も弟も見送りに来たくらいの一大事(笑)。 そこで外国としての第一歩がロンドンだったわけですが、そらーBEATLESを通じて学習していたせいか、何の抵抗もなくスムースに行動でき、自分でもびっくりしたくらいどした。まだつたなかった英語も意外と通じたし。 イギリスはその頃、長い歴史上初めてファッションで認知されたっていうか。60年代のMARY QUANT から端を発して、BEATLESからROCKシーンと相まって、MODS LOOK, LONDON POP、SWINGING LONDON、というような世界に影響を与えるようなファッション・ムーブメントをつくって行ったのでした。 当時はデザイナーよりも、伝説のBIBA、Elton JohnごひいきのMr.Freedomとか 、Starring Cooper というようなショップ名がステイタス。ま、ミュージシャン御用達のオーダーAnthoney Priceなんかもあってすごく憧れたけど。 初めてだったのでファッション系のツアーで行ったけど、即、単独行動。住んでいる人からゲットした情報で“THE ROCKY HORROR SHOW”というミュージカルが面白いよ、というので連れていってもらい、すんごくROCKでキッチュできわどくて面白かった!! 次の日も一人で見に行ったくらい。 ま、イギリス人の本性?(trans‐vestite・服装倒錯とか、紳士の裏に隠された変態性とか)をいきなしガッツリ面白おかしく見せられた感じで、そのキッチュなROCK加減は好きどした。その数年後日本でも公演があり見に行ったけど。映画にもなったし、いまだに世界のどこかの劇場か映画館でやってて、根強いファンがいて、同じようなカッコして一緒に踊るわ歌うわの騒ぎで知れてますな。その初演だったのです。 また、今も伝説で語りつがれるBIBAというブティックもあった。古い3〜4階建ての館まるごとBIBAで、化粧品から下着、インテリア用品まで、何から何まで手抜きなく“いかにもBIBA“なものばかりなのだ。そんなの今聞いても珍しくもないだろうけど、当時そんなお店世界中のどこにも無かった。じっさい行けて深く感動したっけ。私にとっては、インテリア用品や雑貨が見たこともないくらい新鮮でおしゃれで、置き鏡やアールデコっぽい素敵な柄の小さなラグも買って帰って最近まで持っていたっけ。 青や黄色のマニュキア、黒い口紅、船底のサボ、大きなパフスリーブのTシャツ、ラメラメのボーダーニット・・・・ちょっとデカダンで、女っぽいイメージで、マニュキア一個おみやげにもらうだけで興奮したものだった。 やはりロンドン、ファッション話が多くなるのですが、ここで、「今の自分へも脈々と続く私のファッションに対する姿勢」ができてしまった出来事がありました。 当時、ヨーロッパの古着というものがやっと日本に入ってきたばかりで、まだまだ入手困難の希少価値。だからヨーロッパ行ったら、アンティック・古着、とても欲しいと思ってた。 で、KINGS ROADを歩いていたら、いきなし倉庫のような大きな古着屋にブチ当たってしまった・・・。高い天井でドレスが2段にびっしり吊るしてあって先が見えないくらいある・・・。 きっとはたから見たら、私は顔が引きつっていたと思う。「こんなにたくさん・・・。それもいちいちとんでもない凝ったデザインで・・・」。ヨーロッパの洋服の歴史と深さをいきなりつきつけられたカルチャー・ショックに、「私は洋服のデザイナーなんかになれない」と思ってしまったのだ。そこで“買う”ことも忘れ、しかし呆然と歩き出した時にはもう頭は切り替わっていたけど。 「日本に洋服の歴史はなくても、こうやって毎日当たり前のように洋服で生活している。だったら私は、日本人に必要でカッコよく見せる、じっさい毎日着られる洋服をつくって行こうっ」と、『等身大の服を追及しつづけるデザイナー・ヨコモリ』は、ここで出来たのでした。 |
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