2004 07 24  

10・ジミ・ヘンからBLUES ROCKへ

―――だんだん硬派でディープなROCKな志向へ―――

 結局解散につながる不安定飛行のビートルズ。ロックも商品になることがわかってきて、次々と趣向を変え仕掛けらたりもして続々と出てくるグループ。もう音楽無しでは生きていけない体質となっていたので、いろいろ聴いてはいたけれど。
そしてある日Jimi Hendrixにブチあたった。′68か′69年のこと、通っていた桑沢デザインで、クラスの男の子(ミッキーというあだ名の北海道の男の子)が「誰か、金ないからコレ買ってくんない?」とLPレコードを見せていた。「あ、Jimi Hendrixだ」と、ヒットしていた“Purple Haze”しか知らなかったので何気に買って聴いたら、打たれた・・・!
思えばエレクトリック・ギターというサウンドに目覚めたのもジミ・ヘンからかもしれない。もちろんそれまでにもTHE VENTURESの昔から、エレキはスターだったけど、でもサウンド自体に、特別な刺激を感じたのだった。ノイズを使ったのもジミヘンが初めてではないのかしら。そのレコードを擦り減るくらい聴いて、それ以来私はブルース系のロックとギターの好きな音を探すことになるのだす。
思えば、BEATLESやSTONESを始めとするLIVERPOOL SOUNDの連中が揃いも揃ってR&B好きだったから、BB KingやMuddy Watersがいちいちコメントに出てくれば、生意気にも興味を持って聴いてもみたりもした。そして高校生の頃、まだ出来たばかりの“GO‐GO”(と、言ったのだよ。その次がDISCOTEQUE→“DISCO”のことです。今は“CLUB”っすね)でかけて踊るのはR&Bがお約束だったんす。まだROCKで踊るということはなかった。うん、ステップとか踏んで、だから練習しなければみんなの前で踊れなかったけどね。
高校のときに、美術部の後輩の男の子を誘って“禁をおかして”(学校では禁止。わかったら退学)行った“GO-GO”は、新宿のThe Other っていう地下の小さなところ。カッコよく踊る連中のたまり場で知られていて、だからちょっと大人っぽい格好して行ってジュース飲んで見てるだけで精一杯だったけど(そういえば当時は、そういうところで“踊る”のも禁止。警察が見まわりにくると、座ってテーブルについて皆でそ知らぬ顔の演技・笑)。桑沢に行ってからは、やはり新宿のR&B でAPPLEとか踊りに行ってた。
踊るのはR&Bでいいけど、音楽としてすごい好きってことでも無かった(ブラスの音が入るのが何ともタルい感じがして)が、でもしっかりブルースのベースは刷り込まれていたのかも。
当時のロック好きは、ここいらへんから結構分かれ道で、ヨーロッパのプログレッシブやハード系、ビジュアル系(という言葉は無かったけど、現象としてはDAVID BOWIE などGLAM ROCKとか)へ行ったり。またアメリカン・ロックもザクザク出てきて、まあ今思うと“ROCK大漁時代”と言え、ROCKファンも多様化していったのではないかと。
私は、ジミ・ヘンのおかげどっぷりアメリカの骨太なブルース・ロック方面へ(マイナーどした・・、特に女ではね)。
 で、ジミ・ヘンのことだけど、私は懐古趣味で音楽やROCKを聴くことはほとんどないので、過去の好きだった音楽も結構忘れちゃったりしているっす。で、いつも車でFMラジオとかで好きなタイプの新しい音をピックアップしてCD買ってたりするわけ。しかしいつも自分で驚いてしまうのは「あっ! こ、この音は誰っ!?」って、ボリュームアップして必死で聴くとジミ・ヘンだったりする・・・。ここ数年未発表音源とかもいろいろ出てるから、余計に「あっつ、誰!」になってしまうのだろうけど、そりゃーモチ天才の評価あるけど、私にとって彼の音は不変に“今っぽく”新しく聴こえるのだすよ、鳥肌立つのですよ。
ちなみに私の場合、その音楽がいいかどうかは“鳥肌センサー”が基準になりまする。うん、ROCKはカラダで聴くものだもん。今度伝記映画が出来るそうで、ジミ・ヘンになるのはOUTCASTのアンドレだそうだから、何とも楽しみだすな。
 もちジミ・ヘン見た人というのは、まわりに聞いたことがないけれど(‘70年没ゆえ)、こんなことがありやした。
’76年に初めてNY行ってからすっかり虜で毎年のように通うようになりました(当時、ファッションの仕事してるのにアメリカに行くなんて、みんなに「何で?」って。みんなヨーロッパ志向だったから)。で、行ったらまずロックのライブを調べて通うのがお約束。それはまだバブルの香り漂う‘90年代の前半のこと。当時の情報源だったタウンペーパーVillage VOICEかなんか見ていたら、Noel Redding という名前・・・?どっかで聞いたことあるなぁ、ええっ、Jimi Hendrix Experenceのメンバー(ベース)じゃん!とコーフン。
どこへでも一人で出かける私でしたが、まったく知らない下の方のエリアのクラブ、名前は “FIRE”と言ったと。さすがに引いて、在住の友人男子につきあってもらって行った。
それはNYとは思えないくらい田舎くさいクラブで、入り口にハーレーいっぱいでバイカーがたむろしているような、ロードムービーに出てくるような小屋だった。
ま、別に見かけほど危なくはなく、実はなごみ系の雰囲気で、出てきたNoel Reddingは、チェックのネルシャツでボサボサ頭どう見てもレッドネックな雰囲気で「普段はオラ農夫してるだよー」というような“田舎のいい人おじさん”風だった。で、バンドも、田舎の兄ちゃんたちの“村祭り”バンドみたいで「ちょっといつものやるべえー」って感じ、ええ、思いっきりジミ・ヘンのカバーばっかで。でもみんな楽しそうにやっててワイルドではないけどビックリするほどヘタでもなく、結構楽しめたっけ。 写真撮ってあるんだよねー! 探したらあったよ♪
 今見たら、結構カッコいいじゃん、って思うかもしれないけれど、90年代前半のまだギラギラバブルな時期で“70年代復活”のカケラも無い時ですから、これは、ただただ「ダサダサ!!」ということになりますですな〜。
(ちなみに、Noel Reddingは去年‘03年に亡くなったニュースを聞きました・合掌)
★ ジミヘン・ピンバッジ

★ ノエル・レディング秘蔵写真