2003 12 04  

8・ROCKな女たち・60’s(その2)

―――“新しいタイプ”の女たち・それは「辛口」&“ROCKな女”とは―――

 書き出したら出るわ出るわ〜、止まらないわ〜。あの時代はもう次々と新しいものが文字通り“噴出”していたわけだったから、今のようにインフォメーションやカテゴライズがなくて、見ようとしない人には見えないし、見てしまったらかえって自分がストレートに感じた分衝撃が大きいのだとも思うわ。
(その1)で挙げた女たちはそれぞれにカッコいいと思い、見かけやセンスなどのいろいろ魅力的な部分をコラージュするように自分の中へ取り込んでいったってことになるかな。
しかし私にとってのキメになったのは、Francoise Hardyかも。デビュー当時からスタイルの良さと、やはり笑わない無表情とも言える風貌、しかし歌声はか細く淡々としていて、初めから特異な存在だった。でも歌はギターをひきながらのフランス版フォークみたいなもんだったから興味は引かれなかったんだけど。
高校当時、まだ洋雑誌などあまり売って居ない頃、おこづかいを貯めて買ういちばんお気に入りだった雑誌は“rave”(池袋東口地下街の本屋に、なぜかBEATLES,STONESのファンジンやイギリス系のこういう雑誌が小さなコーナーにそろえてあり通った)。ROCKとファッションが一緒で写真が大きくてレイアウトもクール、こういうおしゃれなスタイルの雑誌はこれが初めてだったのでは、と。そして今でもはっきり覚えているある裏表紙1頁の写真はMick JaggerとHardyのツーショットだった。
Mickはだらしなげに不機嫌そうにHardyの肩に手をかけ、Hardyは「関係ないわよっ」とばかり知らん顔で、バシっとペンシルストライプスの細身のパンツスーツに身をつつみ、すっくり立っているのだった。脚の長さはMickよりも断然長かった。
見て頭にガーンときた強烈にカッコいいイメージは私の中に焼きついて、私自身のファッション・センスのベースになってしまったとも言えるのだ。髪はあくまでも長く、でも格好はマニッシュ、媚びの無い素っ気無い態度、という“辛口”(当時はまだこの言葉をこんな風に使ったりはしなかったけど)志向ができてしまったのだと。
だから桑沢デザイン研究所に入ってからおしゃれになるべく、パンツにこだわって一心に自分の服を縫い出したのもこの影響なんだすわ。当時太めで、お金もないのにおしゃれするには自分で作るしか無かったし。でもそれが実地の洋服の勉強となって(学校ではグラフィック・デザイン科)、結局ファッション・デザイナーになってしまうんですからねぇ、何が幸いするか世の中わからんもんすわー。
ま、Hardy自身は、モデル並みのスタイル良さで雑誌などでは前衛的なPaco LabanneやAndre Courrageなどのいろいろな服を着せられてはいたが、いつも“仏頂面”とも言えるくらいの愛嬌無し。当時の自分の「誰もわかってくれない」っていう“フテクサレ性”から内向的になってたので、いたく影響されてしまった私ですが、まるでカッコよさは伴わなかったために20代前半まですんげーモテない女の子の運命をたどることになってしまったのだすが・・・(涙・涙)。ま、“辛口”ちょっと早かったってかな〜?
実は私、MELROSE時代って(72〜85年まで)、明るくPOPでおしゃれなMELROSEのニットはデザインするばっかりでほとんど着てなかったんすよ。自分で着るのはマニッシュでシンプル(当時はそんな女物売ってまへん)なもんが好きだったので、弟のおさがりやメンズの古着のジャケットやシャツなどを探して着たり、腕時計は父親のものだったり。あとはジーンズ。まだそんなスタイルの女誰もいなくて、アパレルに居ても“変わり者”と思われてたわん。
で、85年にMELROSEを辞め、フリーランスになりましたが、半年後に同系列会社のHALFMOONから声がかかりましたん。ん? またやってもいいかな、って思った理由は「今度は自分の着る服つくるんだもんねー」と。それまでの自分の着ていた服のラインを構成し直して、レディスのテーラード・パンツスーツをイメージの中心に据えたのだす。そのイメージの核となったのは、遡ること17〜18年前の高校生の時に見てやられちまったFrancoise Hardyのその写真だったんすよね。
当時といえばまだバブルで、世の中は“DCブランドの過剰デザインもの”か、ケバい“ボデコンの嵐”で、お口直しにシンプルでシックな“辛口”の女はちょうどよかったんでございましょう。ま、HALFMOONは着々とそんな女のイメージが確立できましたわ。
という私にとってのFrancoise Hardyは強烈な一撃、でもそれだけっていうか。でもファンとかではないしCDとかも持ってないし。
ま、これから先70年代、80年代の“ROCKな女”のことも書いてゆくけど、何が“ROCKな女”と言わせるのか? あまり定義づけするとかは好きじゃないんだけれど、あえて言うなら、
(1)世間や周囲の価値基準に合わせて生きていないってことだわ。だから、後ろ指さされたり、石ぶつけられることもあって当然。それを通す“気骨”か、おバカ加減を持つ。
(2)自分の個性や美しさをアピールして、男(当然ミュージシャンや才能ある男たち)や状況の流れに乗り、さらに自分の“スタイル”や“存在感”をつくれる。で、いろんな男と付き合うことが勲章になってゆく(コレ羨ましいっすね〜、^^;)。
(3)だから当然のことだが、とってもリスキー。もてはやされた時期があっても、男と別れれば地に落ちるかもしれないし、ま、乗り越えられればいい女になっている可能性も高いが、振り回されて人生は激動・転落・死になることもあるだらうし。
(4)そして、だ。過去のROCK加減を形骸化して持ち続けたりはぜず(よくいがちな“スナックやライブハウス系のROCK好きなママ”なんてパターンはねーっすよ)、今日的に見ても、知らん顔して“いい女”であること。ま、いい意味の“したたか”だあね。
そういう意味ではカトリーヌ・ドヌーブなんかも“ROCKな女”さね。Bailyとの離婚後は、ロジェ・バディムと結婚しないで子供生んじゃうし(60年代にだよ!)、結局マルチェロ・マストロヤンニとも結婚しなくて子供生んじゃうし、ああインモラル。有名な男との恋愛の数知れずだしい。
なのにさ、女性誌なんかで“いい女特集”とか見ると、ドヌーブやJane Birkinやオノ・ヨーコさんなんかを小奇麗にまとめちゃって「あんな素敵な生き方憧れますぅ〜!」なんてちゃんちゃら可笑しいんだわー。元はといえば、彼女たちは当時の世間からすれば反逆児。強い自我と、その裏には自分の体張って歯喰いしばって泥水飲んで石ぶつけられてもっていう強靭な意志と覚悟が無きゃああはなれねーんだよーっ、て知ってほしいんだわさ。
★これが、Francoise Hardyさ。