2003 10 05  

5・日本のGROUP SOUNDS(ユニフォーム系)

―――日本ROCK時代の幕開け―――

 ここで我が日本のGROUP SOUNDS を書かないと片手落ちになるでしょう。基本的には洋楽好きでしたが、とにかくROCK自体がマイナーだったゆえ、外国でも日本でもへだたりなくROCKを求めていたってわけっす。
 やはり当時の公立高校、特に私のいたところはダサイ、センス悪い、田舎臭い(東京だったらそうじゃないと思うのは大間違いっす)で、私立に行った友達なんかとは結構一緒にミーハーできたというか、ライブハウス見に行ってたりしやした。
 ライブハウスなんていう言葉も、ROCK専門のハコなんかもあるわきゃない時代で“ジャズ喫茶”というところっすね。有名だったのは新宿や銀座のACB(アシベ)、よく通いましたわ。
 かの有名なTIGERS、BLUE COMETTS やWILD ONESも人気あったけど、私はやっぱ“ROCKっぽい”、SPIDERS、TEMPTERS、JEAGERS なんか好きだったっす。
 SPIDERSというのは、今でもTVなどで活躍している堺正章、かまやつひろし、井上順、芸能界のドン田辺昭知、音楽業界の要、井上孝之、大野克夫、と言うお歴々がいたグループだす。このグループは、音楽的実力もだけど、堺・井上の両フロントマンの魅力や、かまやつ氏のキャラなどすごくバランスもよく洒落た雰囲気ももってたっす。
 その背景はファッションにもありました。当時、まだ知る人ぞ知る、フツーの人は立ち入れないスノッブな遊び人の街・六本木は“CHIANTI”(“キャンティ”は今もある昔から芸能人御用達の、当時はまだ珍しいイタリアンレストラン。深夜までやってた伝説の“六本木族”の溜まり場)の隣に、“Babydoll”というブティックがありました。 オーナーは川添梶子さん(キャンティの方も。当時既に早過ぎの美しきイタリアンマダム。あ、風吹ジュンのダンナだった川添象多郎のお母さんですのだ)で、デザイナーでもありました。
 当時ガキの私は外からちょっとしか見たことしかない憧れの店。SPIDERSはそこで衣裳をつくっていたんす。だから何気に仕立てがよくて素敵でしたね(ま、デザインはBEATLESの亜流ではありましたが)。いつの日か“Babydoll”で服をつくるのが夢・・なんて、生意気な高校生は夢見てましたが実現はしませんでした。
 SPIDERSは音楽センスかなりよかったと思うんだけど、大ヒットした曲は“歌謡POP”ってイメージ強いっす。いい意味で日本のROCKっていうかPOPSは、これがいちばんいいんじゃないかと思うんすよねー。みんなすぐ覚えて歌えたし。今の日本のROCKってさ、やたら雰囲気は出してたりするけど、覚えないし唄えないし忘れるよね(私は)。で“歌謡POP”の王道は、サザンの桑田佑介だと思うんだけどこの話はまたいずれ。
 ま、SPIDERSっていうのは別格だった感じっす。当時、音楽をやるなんざー“お金持ちのボン”しか出来なかった日本ではROCKがハングリーじゃあなかった時代っす(だって楽器が買えたり、それが鳴らせる環境っていうのが最低条件っしょ)。
 堺正章さんは俳優・堺俊二の息子で、今でもめちゃオシャレだすもんね、“Babydoll”の当時からなんだと。あ、かまやつさんはジャズ歌手・ティーブ釜やつの息子で“かまやつひろし”というロカビリー歌手だったけど、今でも独自のキャラでオシャレってことで。ハンサムな井上順さんは、当時のスーパーモデル青木エミさんと結婚してトレンディーなナイスカップルだったけど離婚しちゃったけど。後日BIGIの社長のお友達として当時私のいたMELROSEによくひょこっと現れました。とても明るくTVのまんまのいい感じの人だったっすね。
でね、あのショーケンのいたTEMPTERSなんだけど、ブレークする前って結構黒っぽくて好きだった。まあ、無理やりSPIDERSを日本のBEATLESとするならば、TEMPTERSはちょっとSTONESっぽかったってかな、埼玉のちょっと不良っぽいグループって感じで。当時はショーケンよりも松崎ヨッチンというリーダーの方がBrian Jonesっぽくて人気あった気がしたけど。私は、ドラムの大口ヒロシがごひいきでしたね。彼はファッションセンスよくてKeith Richardに似ててカッコよかったしー(※彼は、80年代に稲葉賀恵センセイのボーイフレンドだったよ〜ん! そんな時ヒロシさんに「昔ACBに見に行ったことあるんすよー」なんて昔話なんかしちゃったりして・・)。 
 で、JAGUARS も結構ハマりましたねん。そらー音楽っす。岡本信というかなりバタくさいイケメンがいいボーカルしてましたが、私はいちばんR&Bっぽかったので好きでしたわ。“Mustang Sally”とかシブイ曲やってましたし〜。  まあこういう“ジャズ喫茶”時代だったので、楽屋口で気軽にお話できたりサインもらえたり、という初期でした。その後<GROUP SOUNDS時代>といえるくらいの大ブレークとなり、TVに出まくり人気もすごくなり、雨後のタケノコもどっさり出ました。しかし、きっと彼らも本当は好きだったR&Bではなく、国民的人気のためには“歌謡POP”ってことで、私は音楽的には段々遠ざかっていくことになってしまうのでした。
 TIGERSの全盛時代、昔まだフジTVが新宿区河田町にあった頃、向かいに小さい普通のお菓子屋があって娘が高校で同級生、フジTV御用達ってわけ。出入り自由で、TIGERSの出演の日に誘ってくれたので歌番組のスタジオまで見に行ったけど、何だかもう私はシラケてたなー。ちなみに私は全然ジュリーではなくて、加橋かつみが好きでしたが(昔からホントに面食いじゃないっすね・・)。
 ちなみに、ここで登場させるのも何ですが、海の向こうのアメリカでは、BEATLESに追いつけ追い越せと、MONKEES というのをあつらえました(これはちゃんと“仕掛け”もの、オーディション・バンドっすから)。これは、いきなしTVコメディー・シリーズでしたが、“Daydream Believer”とか音楽としても結構POPで楽しいいい曲ありましたね。これは日本のお茶の間でも見られ、受け入れられたのでここにスムースに出てきちゃったわけっす。毎週楽しみに見てた、でも全然何だか覚えてないんだけど・・・、^^;)。
★ヨコモリが70年くらいからずっと持っているバッジ。
今だにテーマカラーのキミドリ色は昔から好きだったようだ・・・。