2003 09 05
1・まずは、BEATLESから(その1)
―――BEATLESで価値観の激変を味わい反社会的な女子に―――
今やROCKの起源はBEATLESとも言えますが、幸か不幸か彼らのデビューをリアルタイム遭遇した私「BEATLESで人生、狂いました」なんすねぇ。彼らを知らなければ、デザイナーにもなっていなかったし、今頃ちゃんとした良妻賢母だったのにね(?)。
まあ、やだけど昔バナシから。BEATLES以前の私というと、小学生の頃から音楽、特に洋楽POPS(当時は“ポピュラー・ミュージック”って言ってた)に興味があるというちょいと生意気な子。ヒットチャートが好きで(昔からミーハー)ビリーボーン・オーケストラ(イージーリスニング)から、クリフ・リチャード(イギリス製ELVIS)、シャドウズ(インスト4人組)まで幅広く聞いていたけれどすごく「これっ!」って感じではなかったわ。 そして中学2年生のある日(1963年)、ラジオから流れる“PLEASE,PLEASE ME”を聴いたとたん、身体に電流が走った!震えた!!「これは誰? 何ていう人が歌っているの!」と。ひと言“ビートルズ”という聞いたこともない変な名前をおぼえて、次の日学校が終わるとすぐにレコード屋にすっ飛んだ(それまでレコードはたまに行く東京は新宿の“コタニ”で買っていたが、その時は一刻も早く欲しくて歩いて30分の神楽坂の好音堂という小さなレコードショップに走ったっけ)。「あった!!」入荷したばかりの東芝EMIの赤いドーナッツ版シングルレコード! それからは言うには及ぶ。 どっぷりハマってしまったのがどのくらいかというと、ホームルーム委員やお勉強もそつなくこなすまあまあ“よい子”だったのが、いきなし人生の意義をそっちへ持ってかれてしまい、勉強なんか放り出して寝てもさめてもBEATLES状態の“不良”になってしまったのだった(いや、されてしまったのだけれど)。 断っておきますが、今どきの“不良”とは意味が違います。にかくBEATLES自体が“不良な連中”で“不純な音楽”というデビュー当時はボコボコの攻撃っすから、ヤツらを好きなだけで“不良”の烙印・・・。教師やまわりのいい子から白い目で見られるようになっちゃったんだよ。信じられないでしょうけどホントなんだから! 「何でっ!」と、アタマに来たものの反論するすべもなく、まわりに反応しているコはほんの2〜3人(公立中学だったからかな。自分がマセてたんかなぁ)、友達からも学校からも孤立してしまい「誰もわかってくれない!」とフテクサレ状態。でもますます彼らの魅力には引きずり込まれ、つまらない学校からはまっすぐ帰って彼らの音楽を聴き、イマジネーションでまだ見ぬイギリスやモッズファッションの絵を描いていた、まあ一種の“引きこもり”だすな。 余談だすが、私は“フォークソング嫌い”。音楽自体も面白くねーっすが(Bob Dylanは別だが)、この頃Peter Paul & Mary とかJoan Baez 、Brothers Fourとかが主流で、「フォーク好きな子はいい子」だから学園祭とかに歌ってもよくて、なぜかお勉強できて先生に可愛がられる子たちがやってた。だからスポイルされてた私は、そいつらごとフォークごと「でぇ〜っきれえ!!」という怨恨に。だから時代は違っても今、森山直太郎なんかいきなりすんげー嫌い、とか思っちゃう自分は成長してないな・・、と、^^;)。 だからまあ優等生っぽかったのに成績は下がり、態度は完全にアウトロー。「高校なんか行きたくなけど絵の学校に行きたいから(BEATLESはアートスクール出身の影響)しょうがない」と、都立の三流高校でひたすら我慢の生活。授業サボって学校の公衆電話から、当時憧れのDJの福田一郎さんなんかにお電話して洋雑誌で辞書引き引き読んだビートルズ情報なんかを生意気にもご披露してたり・・・(冷や汗!)。 ―――福田一郎さんと言えば、またいずれ書きたいですが、私は『ROCKの鏡』と思いますね。数年前もあまり変わらぬお姿ロックコンサート(確かOASISだったと)でお見かけし感動(たぶん70歳はとっくに過ぎていらっしゃいます)。最近も何気に聴いてたインターFM(FMラジオ局)で思わず耳を疑いましたが、まるで変わらない感じで淡々とROCK DJなさってるんす。要するに「オトナになってもROCKへのスタンスが変わらない!」、尊敬っす。 話がそれましたが、高校でも思いっきり受け入れてもらえず、本当の“不良”に・・・、ならなかったのは、両親のおかげだすな。BEATLES(や音楽の趣味)に関しては何故か全然文句言わなかったっていうか協力的ですらあった(だってレコードやチケット買ってくれたんすから・・・)。いや基本的には厳しくてだから21歳まで外泊無しだけど。あれだけ学校で浮いていたのにグレずに済んだのは、親の理解のおかげだったと感謝だす。合掌。 しかしそれがほんの数年後、BEATLESの音楽的実力がどんどん認められていき世の中の評価の激変を目の当たりにした私は「もう世間の言うことなんか信じられないっ!」と不信感のカタマリとなり、反社会的な精神がしっかりと形成されてしまったのでした。 よく私がファッション・アドバイスの時に「おかしい? 誰が? 世間の人は誰も責任持ってくれないのよ。自分がどう思うかがいちばん大事なのよ」って言うのは、実はこの時代にしっかりと植えつけられたものだったんだすなぁ・・・。あな恐ろしや! |
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