第三章 <やはりニュートラでございますわね、ホホホ>
 2000/12/25 update


 私は東京都目黒区に住んでいます。目黒ってとこは何ていうかまあ山の手だし基本的には古くからののんびりした街で住宅街やお屋敷も多く、JR山の手線と思えないくらい田舎くさい、というか“いなたい”雰囲気で、でも商店などは下町っぽいところもあり住むにはなかなかいいところです。駅前なんか戦前からあるんじゃないか、ってお店も結構あったりして結構不思議な雰囲気もあるけど、やっと地下鉄の南北線が開通してかなり便利になるので少しずつこれから変わっていくのでしょうけれど。

 だからね、こんなところだから昔から“いいとこの奥様風”の方も多くて年齢は幅広く、またもやリバイバル流行の「ニュートラ」が、バッチリ“まんま”棲息状態だったりして。
 この間、通りで見かけた奥様はきちんとして上品、モノグラムっぽいプリントのボウタイ付きブラウスの上には金のチェーンネックレス、プリーツの入ったスカートには金具つきのベルトをし、ロベルタのバッグをお持ちでございましたわ(約60才)。
 駅で見かけた素敵なマダムは、バーバリーのトレンチコートを着こなし首にはエルメスもどきのスカーフ、茶色のハンドステッチ入りのパンプスが憎かったのです(約70才)。
 はい、「服だけ」だったら“まんま”トレンド(!)ですねーっ?!  ええ、目黒駅にちょっと立って見ているだけでザクザクいらっしゃいます。

 もう情報としてはとっくに2000年秋は「ニュートラ」「レデイー・ライク」とかで人気してますが、これ元ネタは70年代後半。でもね、この頃から“流行”っていうのは、一辺倒ではなく“党派に分かれてきた”頃だったのよね。 
 だから同じ時代に生きていても、結構まるっきり違う格好してたりする。「ええ?あなたニュートラだったの? 私サーファーだったよ。」「私はブリッ子ね。だって聖子ちゃん(松田聖子)に憧れてたもん。」なんていう同窓会での声が聞こえるよう。“パンク”だって、この時代に出てきてるしね。 
 思えばいろいろな目新しいものが出てきて混在しているという“多様化”のベースはこのあたりからかも、思えばそれまで流行っていうのは、せーの、で“一辺倒”だったものね。だから今、「何かもっとあるんじゃないかあ?」って70年代を“掘り”たくなるってわけかしらん。

 え?私? バリバリの“アンチ・ニュートラ”だったから全然やってないの。だったら、洗礼を受けてないんだったら、また流行っても今度は割と抵抗無く出来るんじゃあないのお・・? それが、また・・、事情は複雑。
 ニュートラの服自体は決して悪いものとは思ってはいませんでしたさ。しかしとにかくイメージは何と言っても「コンサバ! 保守的! 良家の子女!」です。ワル系をポーズって、ジーンズに古着ばかり着ていた私にとっては「ちゃんちゃらおかしい格好」で問題にもしていませんでしたが、何と、母がそんな風だったのでした。 でも当時としては母親がそういう格好してるのは何となく「適度に趣味が良い、いいとこの奥様風」な雰囲気で、ヤクザな娘としても安心できる好ましいものだと思っていました。だから今の私が、ニュートラ?? この年じゃ、鏡に向かって思わず「これじゃ、うちの母親じゃん?! なんで私が今頃ただの“いい人オバサン”にならなきゃいけないのよっ!」って感じで、またもや難問と相成るわけです。

 しかし、この“ニュートラの持つ確たるイメージ”っていうのは今だに脈々と商社マンの奥様や、政治家の奥様など「絶対に、そう見えなきゃならない筋」ではお約束のように確実に生き延びていますね。
 数年前ニューヨークで、アップタウンの高級デパート、バーグドルフ・グッドマンから出てきたマダムは何だか見たことある顔、田中真紀子さんでした。英国風のチェックのスーツにニットを合わせて、あら結構(失礼?!)趣味がいいのねって。でも、もっといいと思ったのは「一人でさっさと買い物してる」って感じ! あれだけの人だったら“お付き”がいて当たり前なのに好感持ちましたね(やっぱり、総理大臣になったとこ見たいかも)。

  ニュートラやコンサバをおしゃれに着るのが難しいところは、好感度はあっても「野暮くさい」「おカタい」「つまんない」という風にもすぐなってしまうこと(だから人に安心感を与えるというメリットもあるけれど・・)。田中真紀子氏は、メリハリのきいたボディに合ったシルエットのスーツで“押し出し”が良く、そのことを知って他に余計なものがないシンプルすっきりなコーディネートで、ニューヨークの街中でもいい感じに見えていました。
 それでもって海外というと、“駐在っぽい”奥サマ方ってみんな“ニュートラ&コンサバ系”なのよね。街を歩いているとそういう人達が目につくと「絶対に、そうだ」となぜか確信が持てる。その上、無難なメタルフレームの眼鏡もお約束。さっきの悪い例「野暮くさい」「おカタい」「つまんない」系になっている人が多いみたいだけど、きっとこういう狭い世界の“外圧”で、きっと処世術ということもあるんでしょうねえ。

 ちょっと話がそれたかも、でもね、何が言いたいかっていうと前回の70'sでは「あんなおバカな格好出来ないわ」だったのだけれど、ニュートラは基本的には「上品でいい感じの格好」、なんだけれどお、当時を知るものとしては「抵抗がある・・」には変わりないんだわぁ・・と。リバイバルはやっぱり当時をまったく知らないジェネレーションしかやっちゃいけないっていう要素が強くて、いわば「古い壷に新しい酒」ってやつじゃなきゃシャレになんないっていうのが、何ともやりにくいトレンドだわ。
 そういえば真っ先に飛びついたのは“109系”だったし、街を見渡せばいちばん張り切ってニュートラやってるコ達は夏までガングロだったかも、とか、思いっきり茶髪・金髪でマユ細く化粧も濃い、とか。そうか! この流れは必然だった? 彼女らがニュートラに求めるテーマは「更正」だったのか・・、なんて思うと妙に納得できたりして(?)。(このトレンドの本来のヨーロッパ的トレンド解釈とはちょっと違いますが、この日本の現実の状況を優先させていただきました。)

  え? 私? まあ、とりあえずはやってますよ。姪に最近「“あゆ”のママみたい」(だって“あゆ”こと浜崎あゆみって最近ショートにしたから何だか似てる・・とまでは言わないが、金髪とデカい目がね・・、親近感はあるかも)そう言われたのをヒントに「ニュートラにしてるけどマトモに見えないヘンな母」っていうのを狙ってたりしますけど。

補足;タイトルの「やはりニュートラでございますわね、ホホホ」というのは、目黒やニューヨークやロンドンで、長年ニュートラ一筋で生きてきた上品な奥様方が「やっとあたくし達のセンスわかってくださったのかしら。あたくしなんかン十年も前からですのよ、ホホホ、ねえ奥様」、それ、全然違うんすけど、勘違いなんすけど・・、の会話ってことでした。



次号へつづく