第一章 <近過去・まず90年代のわかりやすいロジックから>
  2000/10/22 update

いきなしあまり古い話でジェネレーション・ギャップが出るといけないから、こないだくらいの話からにしましょうか。2年ほど昔、街で若い男のコがダボダボのパンツをずり落っことさんばかりに腰に引っかけてはく“腰ばきパンツ”が流行った時、聞の投書欄なんぞで(私の場合、朝日新聞)やたら、「いい年したオトナがもうヒステリックに攻撃しまくってる」ということがありました。ま、確かに、だらしなくもコ汚いルックスでしたが、その時のあまりのかまびすしさに私がシラケたのは「そんなことエラそーに言うオトナのあなた達、じゃ、若い頃いったいどーいう格好をしてたのさっ! 堂々と自慢できるような格好してワケっ?」って本気で思って投稿しようとしたのね。

70年代に青春のオヤジだったら、キタナイ長髪をなびかせ、よれたベルボトム・ジーンズは地面とこすれて泥や雨水を吸い、で、「これが反体制だ!」なんて息まいていた? その前だったらJUN やVANの袋かかえて短いズボン丈が妙ちきりんな“みゆき族”というか変形の“アイビー・ルック”とか? もっと昔だったらわざと不潔キタナくしたポーズを気取るインテリ青年の“バンカラ”スタイル? あ〜ら、オトウサンは“竹の子族”だったのおー? そこのオッチャンは“族上がり”?(もしタイム・マシーンがあって、各時代の若者のサンプリングなんかできたらすんごく面白いと思うのに!)「一緒にしないでくれ、あれには時代と背景があっての必然である」なんて言う? 同じさー!!! 若者がいつの時代にも、オトナの嫌がるおバカな格好するのはお約束、これエネルギーの発露、妙にオトナ受けするような格好の若者なんて若者らしくないっ!

でもさ、私の言いたいのは“腰ばきパンツ”擁護じゃなくって、要するにオトナと若者の服装に関する<図式>ということなのね。この間、たまたまふと目にしたTVの文化社会人類学の講義でも「支配者と、被支配者の関係では、支配される方のストレスを発散させる為に昔から“祭り”というものがあり、ニューオリンズの“マルディ・グラ”のようにその日は移民や奴隷だった人たちが仮装し奇声を発して練り歩いたり、“ハロウィン”のように子供が悪魔や鬼になってオトナをおどかす、ということになっているのであります。」というのを聞いて、目からウロコでしたね。まさに、若者がオトナから見れば意味のない奇をてらった格好をするというのも、歴史的・社会的に見れば、若者というまだ社会に認知されていない被支配者のストレスってわけなんじゃない。

うん、そういうもんなんだから「オトナはいちいち目くじら立てないで静観する」っていう姿勢になれないでしょうかねえー、ってこと。「今の若者のあんな格好どう思います?」「別に。」「別にって?」「いいじゃないですか、させとけば、だって来年はもういないでしょうから。」このくらいクールになれないすかねー?! 事実、“腰ばきパンツ”は1年で消え去り、去年あれだけもてはやされた(?)“コギャル”だってオリジナルを保って棲息しているのは今年はもうわずかに過ぎなくて、思えば、はかなく切ない感じもしてくるではないですか。イギリスって国の好きなところは、“昔パンク”が流行った頃、よく山高帽の紳士とパンクスが知らん顔して一緒にいるような写真があって、現に今でもロンドンに行くとそういう雰囲気ほんとに感じることが出来て「う〜ん、文化が成熟してるよなあ」などと思ってしまうのです。

でもね、オトナはね、ただクールにわかったふりしてカッコつけろって言ってるんじゃあないのよ。なぜなら「その後とてもみっともない羽目になるんだからヤメロ!」ってこともよくあるわけ。また、わかりやすい例、3,4年前に渋谷の若者からリュックが流行った時だって年配の人は「戦後の食糧買出しを思い出して暗い気分になる、見るのもいやだ」「そんな格好する若者の気持ちがわからない、神経を逆撫でされる」ってやはり投書で非難ゴウゴウだったのに、あら、今や見渡せば、山歩きやウオーキング、もちろん機能的だから街でのショッピングにも、と、“お元気中高年のシンボル”とでも言えるようなアイテムになってしまったではありませんかー?! そういうの結構ハズカシいと思うけど。

新しいものや現象に「まず違和感を感じて、けなす、非難する」――>そして、その流行が蔓延した頃、そんなにみんながやっているならちょっとはいいもんなのかな、とか思って、「手を出してみる」――>そしたら結構イケる、とか思って「妙に気に入ったり」して。しかし、哀しいかな! ここまで来るまでに、とっくに「流行としては終わっている」。そして更に、――>「それにはまったく気がついていなくて、得々としてハマっている」から、また次のものが出てきても同じペースで繰り返す。というかなり<みっともない図式>になってしまうということなの。早い話「やるなら、言うな!」ってことね。

あのね、いきなし“アタマのカタいオヤジ叩き”みたいな話になっちゃったけど、これ、結構誰でも陥りがちな話なのよ、まだ若いあなたにもね。ファッションとか流行ってモノ自体じゃなくって<図式>的に「こういうことなんだ」と、まず知っておいてほしいの。初めは奇異にうつったり、個人の好みは当然あっていいけれど、★目を離しちゃいけない、★引いて見なくちゃいけない。だって流行は社会を写す鏡のようなものであり、バカバカしいようなものにもかならず時代に必要なエッセンスが隠されているのだから。 「今どきの若者は」「あんなカッコして」なんて思うところから、どんどん時流からハズれてドツボにはまっていくわけなのよ。そう、どんなものを見ても「どっかいただけるとこないかしらん?」なんて、オトナはぐっとクールにしたたかに行かなければいけませぬ。

<補足>
※ “腰ばきパンツ”は、ポイントがウエスト・マークから最近のヒップボーン(ローウエスト)に移る現象の先取りでした。何事も最初出てくる時はエキセントリックな形を取りがち。ちなみにその前の年にアメリカでも流行っていたし。
※ 渋谷系“コギャル”の残した功績は大きい。なにせあれは日本独自のオリジナリティーで、外国からの友達はみんなマジに見たがった。過激“ヤマンバ”に変容した系もあったが、初期の“109”付近には、サイボーグ感覚とでもいいたいスタイルも良くカワイイ子達が見られ、私は新鮮に感じましたね。その後“オネギャル”や、“ギャルトラ”などいまだに絶滅しないで状況を取りこんで着々と進化しているのはエライし、すでにフツーのOLにも影響を与えていってるのも事実。


次号へつづく